三輪清浄の大切さ
本日は足元の悪い中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。
早いもので今年も3月に入り、彼岸を迎える月となりましたので、日もだんだん長くなり、春の気配を感じられる季節になりました。
菩薩に課せられた6つの実践徳目を六波羅蜜と申しますが、その第一番目に掲げられているのが布施行です。布施とは在家の人々が出家行者や寺院・教会に財物などを施す事ですが、皆様が行っています身近な布施行とし致しましては、月参りに来られるお坊さんにお渡しする御布施が御座います。
布施には今お話ししました金銭を施す財施の他に法施や無畏施が有ります。一般的には信者さんからの財施に対し、僧侶は読経による供養や法話などを施し互いにバランスを取っていますが、仏教ではこの財施と法施のやり取りに際し、三輪清浄が大切だと教えています。
先ず布施する人は私利私欲や特定の目的の為に施してはいけないのです。そして、布施として施す財物が不当に得た物であってはならないのは勿論の事ですが、布施を受ける僧侶は布施を受けるにふさわしい行いをしている事が前提になります。このように施す人と施す施与品、更にはそれを受け取る僧侶が共に清浄でなければ布施本来の行為とはならないと説いているのです。このように三者が全て清浄で始めて布施行は成立するのであり、どれ一つ欠けても布施にはならないと教えています。
江戸時代に臨済宗再興の祖として活躍した白隠禅師の師僧だった至道無難禅師は「お金は天下の宝である。悪人が持てば人を苦しめ、自分も苦しむ事になるが、善人が持てば人を助け、自分も楽しむ事が出来る」と教えています。そして、「布施する者はたとえ千貫・万貫の布施も三銭と思って出せ。受け取る僧侶は万貫の布施も三銭を思って受け取らなければ、後世は畜生になる事疑い無し」と力説しています。お金が全てを左右するような風潮が強くなりつつある今日、とても重い言葉のように感じられてなりません。
私も宗教家の末席を汚す者と致しまして、三輪清浄の教えを肝に銘じ日々精進を重ねて参りたいと願っています。
これから始まります皆様方の新しいひと月が三輪清浄の精神に裏打ちされた布施行の毎日となりますよう心よりご祈念申し上げます。
本日はご参拝誠に有難う御座いました。
2019年3月 薬王山竹韻精舎蔵王寺
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