札幌市にあるお寺、竹韻精舎蔵王寺では、法話、祈祷、供養、を毎月行っています

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札幌市のお寺で行っている今月の法話

 令和元年12月    善き師、悪しき師 今月の法話を音声で聞く
 

善き師、悪しき師


本日は貴重な日曜日、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。
 
今年も残すところひと月足らずとなりましたが、皆様方に取りまして、この一年どんな年だったでしょうか。
 
奈良の東大寺で有名な華厳宗の根本経典「華厳経」では、この世の全てのものは互いに関連し合い支え合って存在していると教え、菩薩行実践の大切さを強調しています。
 
菩薩の修行は「自利行」と「他利行」に分けられますが、自利行の目的が衆生済度にありますので、自利・他利どちらも衆生救済の為の修行と言う事が出来ます。衆生救済の根底に有りますのは、自分と他人とを区別なく扱うと言う不二の精神に基づく「慈悲行」の実践であり、菩薩が目指す衆生救済の道なのです。ここで重要な事は「自身を見ず、施物を見ず、受者を見ず、業を見ず、報を見ず、果を見ず・・・・」等と実践に伴うもろもろの執着心を離れてこそ修行は完成し意味が有ると教えています。
 
今年もご縁を頂き新たに四人のお弟子さんと師弟関係を結ぶ事になりました。お釈迦様の説法をまとめたとされる原始経典の一つに「阿含経」が有りますが、その中でお釈迦様は善き師・悪しき師として具体的な例を挙げて師僧たる者の有るべき姿をお示しになられています。
 
悪しき師として三つの例を挙げていますが、その一つ目の例は弟子達に幸せになる為の立派な教えを説きながら自分では実践しないため、そんな師の姿を見て弟子達は師の教えを信じず実行もしようとしない。二つ目の例は師の行動は一つ目の例と同じですが、弟子達は師に関係なく教えを信じ実行する。三つ目の例は弟子達に立派な教えを説くと同時に自分でも実践して見せますが、弟子達は教えを守らず離れていく。
 
以上、お釈迦様がお説きなった悪しき師の例ですが、それでは善き師とはどうなのでしょうか。善き師とは正しく生きるべき教えを説き、かつ自ら実践して見せる師であり、師の姿を見て弟子達も教えを守り実践すべく精進する。このように師弟が共に同じ方向に向かって歩めるように導ける師僧こそが善き師であると述べています。阿含経の教えを肝に銘じお弟子さん達と共に菩薩行を実践して行けるよう日々精進を重ねて参りたいと願っています。
 
これから始まります皆様方の新しいひと月が実り多い新たな年へと繋がる掛け替えのない日々となりますようご祈念申し上げます。
 
本日はご参拝、誠に有難う御座いました。

令和元年12月 薬王山竹韻精舎蔵王寺

 







 令和元年11月    未来の蕾で満たす 今月の法話を音声で聞く
 

未来の蕾で満たす

本日は寒い中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。
 
仏教には8万4千と言われる程、多くの経典が御座いますが「遺教経」は「涅槃経」「遊行経」と共に、お釈迦様の
三大遺言経の一つです。その中では「少欲・知足」を守り、「勤め励む」事を忘れず精進の日々を過ごしなさいと教え ています。
 
私達が抱える悩みや苦しみの多くは、既に起きてしまってどうする事も出来ない過去の事やどうなるかまだ分からな い先の事に気を取られてしまう為に起きているのではないでしょうか。人生100年と叫ばれる今日、長くなった高齢 期の質をいかに高めて日々を過ごすかを問われているように感じます。

従来の西洋ではホモサピエンス(知恵の人)を人間観の代表として来ましたが、ユダヤ人でアウシュビッツ強制収容 所の入所体験を持つ精神科医のフランクルはホモパティエンス(苦悩する人)という新しい人間観を打ち出しました。 フランクルの人間観は苦難多きこの世の人生をいかに正しく生きるかを説いた、お釈迦様の教えとも一致します。

終活などを通じて自分の生きる時間が限られている事を自覚できれば、残された時間をより豊かに、そして有意義に 生きようと願わずにはいられなくなります。この世で時間ほど貴重で掛買いの無いものは有りません。人生が短いので はなく、長すぎる位い十分な時間を与えて頂きながら、無駄に使って自ら短くしてしまっているのではないでしょうか。

陶芸家の河井寛次郎は「過去が咲いている今、未来の蕾で一杯な今」と言いました。今、美しく花が咲いていても、 それはこれまでの努力の結果であり、明日以降も咲き続けてくれる保障は有りません。明日以降の事は今日をどのよう に生きるかに掛かっています。未来を良くするのも悪くするのも「原因我に有り」なのではないでしょうか。なんの努 力もせずに、ただ年を重ねるだけでは花を咲かせる事は出来ません。私達に出来る事はただ一つ、未来の為に今を大切 に生きる事ではないでしょうか。

ドイツの詩人ゲーテは「処世のおきて」の中で「気持ち良く生活しようと思ったら、済んでしまった事をくよくよ考
えず、腹を立てずに現在を楽しむこと。そして未来の事は神にまかせること」と言っています。

これから始まります皆様方の新しいひと月が未来に花を咲かせる沢山の蕾を作る事が出来る日々となりますよう、心 からご祈念申し上げます。
 
本日はご参拝誠に有難う御座いました。

令和元年11月 薬王山竹韻精舎蔵王寺

 







 令和元年10月    旅立ちに向けて 今月の法話を音声で聞く
 

旅立ちに向けて

 本日はお忙しい中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。

 早いもので今年も実りの秋を迎えました。今年は庭のリンゴが豊作で沢山のリンゴを収穫する事が出来ました。毎年、収穫したリンゴを前に想う事が御座います。リンゴの木でさえ一年でこれだけの具体的な成果を上げているのに、自分は一体何をして来たのだろうかと懺悔と反省の念にかられてしまいます。

70歳を過ぎますと、そろそろ旅立ちの準備として身の回りの整理を始めたり、有終の美を飾れるような老後を歩みたいと願うのは私だけではないと思います。

 日本には「子孫に美田を残さず、徳と誉を残せ」との人生の指針にもなるような諺が御座いますが、仏教では菩薩になる為の最も大切な修行として、徳積みの布施行を説いています。布施と言いますと物やお金を施す財施や教えを説いて人を導く法施、更には恐怖や不安を取り除いて安心を与える無畏施などが御座います。これらの布施を実践する為には財力や特別な能力を必要と致しますが、誰にでもすぐに出来る布施行が御座います。

 雑宝蔵経で説く無財の七施です。具体的には優しいまなざしで対応する眼施、にこやかな笑顔で接する和顔施、思いやりのある優しい言葉を使う愛語施、体を使って奉仕する身施、一心同体となって苦楽を分かち合う心施、電車やバスで座席を譲る床座施、家に泊めたり休憩の場を提供する房舎施の七施です。

どれも簡単にできそうですが毎日実践するとなりますと大変です。先ずは身近な家庭の中で今日一日だけと思って実行し、それを習慣化できるよう精進を重ねたいものです。こうした日々を過ごそうと精進する事こそ仏教徒のあるべき姿であり、旅立ちに向けた最善の日々を送る事になるのではないでしょうか。

これから始まります皆様方の新しいひと月が「無財の七施」実践の日々となりますよう、心からご祈念申し上げます。

 本日はご参拝、誠に有難う御座いました。

令和元年10月 薬王山竹韻精舎蔵王寺

 







 令和元年9月    仏教的経営のすすめ ④ 今月の法話を音声で聞く
 

仏教的経営のすすめ④

 本日は貴重な日曜日、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。

 暑い日が続いた8月も終わり、秋風を感じる季節になりました。今月も仏教の教えを活かした企業活動についてお話させて頂きます。

この世では学校を卒業しますと就職して働く事が当たり前になっていますが、なぜ働かなければならないのでしょうか。お金が欲しい、地位や名誉・権力を得たいと云うような自分個人の欲望を満たす為に働くのでは有りません。毎日、多くの人達に支えられ生かされているのですから、せめて自分に出来る事で恩返しをし、この世での借りを少しでも減らしたいとの願いから働くのです。このように天職としての仕事であり、神業としての職業なのですから、使命感と誇りを持って働く事が何よりも大切と感じます。

仏教で教えるところの菩薩行の基本とも言えます利他行としての仕事であり社会参加なのです。このように企業活動の生命は利他行の実践に有ります。

 多くの人々や動植物を始め鉱物に至るまで、森羅万象あらゆるものに支えられて私達は生きる事が出来ているのです。生きていると云うより、生かされていると言った方が正しいかも知れません。それを自覚出来れば自ずと慈悲の気持ちや感謝の気持ちが湧き、身の回りに存在するあらゆるものを尊重する事が出来るのではないでしょうか。

このようにこの世では独立自尊のものは何一つ存在しませんが、これを仏教では諸法無我と言っています。この諸法無我の精神を根底に企業活動する事こそ仏教的経営と言えるのではないでしょうか。

 仏教思想の根幹は「無縁の大悲」と「不請の友」と言えるでしょう。無縁の大悲とは他人に対しても家族のように慈悲の心で接する事です。また、不請の友とは誰に対しても友達のように親身になって対応する事です。企業は他人の集合体と言ってもいいでしょうが、一昔前まで日本企業は社員を家族同然に扱って「無縁の大悲」を実践して来ました。また、現代叫ばれているソリューションビジネスは顧客に成り代わって課題を解決しようとする「不請の友」の実践のように思えてなりません。働き改革が叫ばれる今日、最も大切な事は労働時間や賃金と云った表面的な労働条件の見直しにとどまらず、従来、日本企業が持っていた世界に誇れる仕事観や社員観の再興にあるのではないでしょうか。

 本日はご参拝誠に有難う御座いました。

                        令和元年9月 薬王山竹韻精舎蔵王寺

 







 令和元年8月    仏教的経営のすすめ ③ 今月の法話を音声で聞く
 

仏教的経営のすすめ ③

 本日は暑い中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。

 今月も仏教の教えを企業活動に活かした経営についてお話させて頂きます。仏教で説く「不」には否定の不とは違い、超えるとか超越すると言う意図が込められています。超越する事によって、その事象に心を奪われる事無く、冷静に世の中の動きを捉えて判断や行動ができます。時代の流れに逆らったり、社会の動向を無視しますと企業の経営は成り立ちません。そうかと言って流されてしまいますとバブルが崩壊した時、多くの企業が経営不振に陥ったり倒産したように、経営の失敗に繋がります。先を見定めつつ時代の流れを活かして社会のニーズに応えてこそ、般若心経で教える「不」の精神に基づく仏教的経営と言えるのではないでしょうか。

分別は必要ですが、ややもすると不正や隠ぺい・経営の硬直化に繋がる恐れが有ります。そこで、あるがままを素直に見つめる智慧が必要になります。先入観や意思・感情を離れる事によって見えて来る課題や進むべき道を確認し、速やかに対策を取る。こうした具体的な企業活動に繋がる知見こそ、本当の智慧であり「般若」なのではないでしょうか。

暗闇が神仏の光明を呼び寄せると言われますが、困難に出会う事で神仏を求める気持ちを発芽させる事ができます。このように私達の日常生活での神仏の出現は常に地獄のような体験の中であり、苦境のさなかであるように感じます。

我が身に降りかかる困難を神仏に近づく絶好の機会と捉える事が出来れば、苦しみは喜びに変わり、感謝の気持ちが湧いてきます。太陽が燦燦と輝く昼間ではどんなに強い光を用いても輝きを発揮する事は出来ません。同様に順風満帆の時には社員の真価は見えにくいものです。企業の力や社員の力量が明確になるのは不況や経済状態の悪い時なのではないでしょうか。どうしたら自社が良く成るか、儲かるかではなく、どのようにして顧客や社会のお役に立てるかを追い求める事が大切です。こうした求道者とも言える企業活動を忘れなければ、顧客や社会が企業を支え繁栄させてくれるに違いありません。

本日はご参拝、誠に有難う御座いました。

令和元年8月 薬王山竹韻精舎蔵王寺

 







 令和元年7月    続 仏教的経営のすすめ 今月の法話を音声で聞く
 
 

続 仏教的経営のすすめ

 本日はお忙しい中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。

 先月に引き続き仏教の教えを企業活動に活かした経営についてお話しさせて頂きます。企業存続の命は顧客や社会のニーズに応えた商品やサービスを適切な価格で提供する利他行の実践に有ります。その為には社会の変化や顧客のニーズに即応した商品やサービスを開発するための絶えまぬ自利行の実践が不可欠となります。

 この世は諸行無常です。無常だからこそ中小企業やベンチャー企業が大企業や有名企業に成長する事が出来るのです。また、業績も無常であり、良いからと云って慢心していますと悪化の一途を辿る事になります。諸法無我と言われますようにこの世では何一つ孤立して存在するものは御座いません。全て相互に依存し支え合って成り立っています。ですから諸法無我の精神を根底とした共存共栄を目指して活動する事が何より大切なのではないでしょうか。貴社が栄えるから弊社も栄え、貴社が滅びれば弊社も滅びるはこの世の習わしです。諸行無常と諸法無我を会得して始めて涅槃寂静に達する事が出来るのです。こうした大乗仏教の根本思想とも言われます自利利他行の実践としての企業活動を続けていますと、社会的信用を得る事は勿論の事、顧客の集積がなされて経営は安定致します。

 仏教の人間観は無記と言われ、善でも悪でもなく、その両方の可能性を持ち因と縁により結果を生じると教えています。鉄は時間が経ちますと錆びて来ますが、同じ鉄でも鉄道のレールは光り輝いています。このように鉄は自分自身の中に錆びる要素を持っていますが、条件によってはいつまでも光り輝く事が出来ます。知識や地位・名誉・財力等を得た事により自分を見失ってしまう人がいます。精進を重ねて得たそれらを鉄道のレールのように自分を磨く力とし、光り輝く人間になるための大切な要素にしなければなりません。

 企業活動の根底となります仕事が社会の為になる物である事は云うまでも有りませんが、そこで働く人々が働ける喜びとプロとしての誇りを持って働いている事、更にはその労働に見合った報酬が支払われている事など、仕事・労働・報酬の三者が共に清浄でなければなりません。

 世界情勢が大きな不安を抱えている今日、企業経営は一層難しくなって来ています。世界に誇れる高度な技術力に加えて、仏教の教えに基づく日本的経営を実現できれば困難な時代を生き抜く事が出来るのではないでしょうか。

 本日はご参拝、誠に有難う御座いました。

令和元年7月 薬王山竹韻精舎蔵王寺

 



 






 令和元年6月    仏教的経営のすすめ 今月の法話を音声で聞く
 
仏教的経営のすすめ

 本日は貴重な週末、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。先月末には真夏のように暑い日が続きましたので、庭の牡丹が満開となり彩り豊かな美しい季節を迎えました。

 今回は仏教の教えを企業の経営に照らし合わせて、お話させて頂きます。三世とは過去世・現在世・未来世の事で仏教では過去の因縁によって現在が有り、現在の生き方によって未来が決まると教えています。事業も同様に前期の反省に基づき今期の目標を定め、未来へと繋ぐなど事業の過去・現在・未来を見通して経営できれば、発展の良循環を形成でき事業を成功に導く事が出来ます。

 経営とは経を営むと書きます。経は縦糸を意味していますので事業を継続する為の営みと言う事になります。経営とは大乗仏教の根幹的な教えとも言えます「上求菩提・下化衆生」という菩薩行の実践そのものであり、顧客や社会のニーズに応える商品を開発する為の自利行と、それを施与する事による社会的貢献としての利他行の実践に他ならないのです。このように経営の理念が明確かつ強固であれば社会的信用を得て、事業は必ず成功し繁栄の道を歩むことが出来るでしょう。

 社会に貢献できる企業活動を目指す事は勿論ですが、更にそこで働く社員一人一人の人格向上を促す経営が出来れば、これこそ理想としての仏教的経営を実践したと言えるのではないでしょうか。

 諸行無常と申しますが企業の業績は無常そのものであり、今、良くても必ず悪い時が来ますので、安心してはいけませんし、悪くても努力すれば良くすることが出来ますので諦めたり悲観する事はないのです。今日の現在は明日には過去となり、未来が現在となる等、三世は絶えず入れ替わっていますので三世不二を感じ取り、現状を冷静に見据えて是正・改善する等、社会の変化に対応できる臨機応変な経営努力を忘れてはいけないと感じます。

 令和が日本企業の新たな発展の時代になる事を心よりご祈念申し上げます。

本日はご参拝頂きまして誠に有難う御座いました。

令和元年6月 薬王山竹韻精舎蔵王寺

 






   令和元年5月    六道化生を目指して 今月の法話を音声で聞く
 
六道化生を目指して

 本日は大型連休の中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。今日から元号が令和に変わり、記念すべき日となりました。この記念すべき元号の変更に合わせ、新たな目標をたてられた方も多いのではないでしょうか。

 修験道は神仏混交の宗教ですので供養も致しますが、祈祷も致します。祈祷の際には錫杖を使用致しますが、錫杖は柄の先に付けられた金属製の環を振り鳴らす法具です。環の数によって幾つかの種類が御座いますが、修験道では菩薩の持ち物とされます六環のものを使用します。六環は菩薩の実践徳目とされます六波羅蜜を象徴しています。

 この錫杖の功徳を説いたのが九条錫杖経です。九条からなる短いお経で私達の宗派では朝・夕の勤行の際には必ずお唱えするお経の一つになっています。第五条の六道化生条では「当願衆生 檀波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 シラ波羅蜜 大慈悲大悲 一切衆生 セン提波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 毘梨耶波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 禅那波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 般若波羅蜜多 大慈大悲 一切衆生」と云うように六波羅蜜の実践を説き、大きな慈しみと哀れみを全ての人々に注いで行こうと教えています。

 この教えを実践する事は大変難しい事ですが、私達凡人でも取り組みやすいように毎週曜日を決め、テーマを一つに絞って実践してみるのも一つの方法ではないでしょうか。

 例えば月曜日は施しをする日として、笑顔を絶やさず思いやりのある言葉を発す等、自分なりの施しをしてみる。火曜日は規律を守る日として、法定速度を守って車の運転をする。水曜日は忍耐の日として、腹を立てずに過ごしてみる。木曜日は努力の日として、何事にも精一杯取り組んでみる。金曜日は反省の日として、冷静に自分の生活を見つめてみる。土曜日は知恵の日として、愚痴をこぼさず生涯学習に取り組んでみる。

 元号が変わり国や社会も新たな目標に向かって動き出しました。私達も仏教徒の一人として、令和にふさわしい新たな目標に向かって精進を重ねて参りましょう。そうする事によって家庭や社会が変わり、この世に理想の仏国土を実現させる事が出来るのではないでしょうか。

 これから始まります皆様方の新しいひと月が、仏国土建設の一翼を担う毎日となりますようご祈念申し上げます。

 本日はご参拝、誠に有難う御座いました。

令和元年5月 薬王山竹韻精舎蔵王寺

 






   2019年4月    七仏通戒偈を身に読む 今月の法話を音声で聞く
   

七仏通戒偈を身に読む

 本日はお忙しい中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。

 長かった冬も終わり今年も希望に満ちた春の到来となりましたが、5月から使用される令和という新元号の発表が有り、まさに新時代の幕開けとなる歴史に残る春を迎える事になりました。この記念すべき春を機に日々の生活を見直し、仏教の原点に立ち返って、実り多い日々を過ごして参りたいと思います。

 葬式仏教と言われますように仏教は死者を供養する宗教のように思われていますが、そうでは有りません。現在この世を生きている私達の心を救済し、人間としての生きる道を教えてくれるのが仏教なのです。生老病死に象徴されますように、思うように行かず困難の多いこの世の人生を、いかに希望を持って正しく生きるかを教えているのです。

 仏教の教えを守り、この世の人生を正しく生きるとは「七仏通戒偈」の実践に他ならないように感じます。七仏とはお釈迦様とお釈迦様が現れる以前に悟りを開いたと言われる6人の仏の事で、七仏が共通して説いた教えが「七仏通戒偈」なのです。「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」という16文字の非常に短いお経で、「もろもろの悪をなさず、ありとあらゆる善を行って自らの心を浄めよ。これが諸仏の教えである」との意味になります。ここで大切なことは人に後ろ指を指されたくないから悪い事をしないとか、名声を得る為に多額の寄付をする等というように、行為の意図が不純であってはならないのです。

 「七仏通戒偈」は現存する最古の経典とされます法句経の中に納められています「言葉を慎み、意を整え、身に不善を作さず。これにより己を清めるべし。かくして聖の説ける道を得ん」との教えがベースになっているのです。このように仏教は「この世の人生をいかに正しく生きるか」を説いています。

 また、仏教は自業自得を説き、いかなる事態が起きようとも責任を他に転嫁せず、原因は我に有りとして「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」事を原則としています。

 新元号の制定にあわせ心機一転を図り、身口意の三業を浄め、宗教家らしい日々を過ごせるよう微力ながら精進を重ねて参りたいと願って止みません。

 本日はご参拝誠に有難う御座いました。

20194月 薬王山竹韻精舎蔵王寺

 






   2019年3月    三輪清浄の大切さ 今月の法話を音声で聞く
   

三輪清浄の大切さ  

 本日は足元の悪い中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。

 早いもので今年も3月に入り、彼岸を迎える月となりましたので、日もだんだん長くなり、春の気配を感じられる季節になりました。

 菩薩に課せられた6つの実践徳目を六波羅蜜と申しますが、その第一番目に掲げられているのが布施行です。布施とは在家の人々が出家行者や寺院・教会に財物などを施す事ですが、皆様が行っています身近な布施行とし致しましては、月参りに来られるお坊さんにお渡しする御布施が御座います。

布施には今お話ししました金銭を施す財施の他に法施や無畏施が有ります。一般的には信者さんからの財施に対し、僧侶は読経による供養や法話などを施し互いにバランスを取っていますが、仏教ではこの財施と法施のやり取りに際し、三輪清浄が大切だと教えています。

 先ず布施する人は私利私欲や特定の目的の為に施してはいけないのです。そして、布施として施す財物が不当に得た物であってはならないのは勿論の事ですが、布施を受ける僧侶は布施を受けるにふさわしい行いをしている事が前提になります。このように施す人と施す施与品、更にはそれを受け取る僧侶が共に清浄でなければ布施本来の行為とはならないと説いているのです。このように三者が全て清浄で始めて布施行は成立するのであり、どれ一つ欠けても布施にはならないと教えています。

 江戸時代に臨済宗再興の祖として活躍した白隠禅師の師僧だった至道無難禅師は「お金は天下の宝である。悪人が持てば人を苦しめ、自分も苦しむ事になるが、善人が持てば人を助け、自分も楽しむ事が出来る」と教えています。そして、「布施する者はたとえ千貫・万貫の布施も三銭と思って出せ。受け取る僧侶は万貫の布施も三銭を思って受け取らなければ、後世は畜生になる事疑い無し」と力説しています。お金が全てを左右するような風潮が強くなりつつある今日、とても重い言葉のように感じられてなりません。

 私も宗教家の末席を汚す者と致しまして、三輪清浄の教えを肝に銘じ日々精進を重ねて参りたいと願っています。

 これから始まります皆様方の新しいひと月が三輪清浄の精神に裏打ちされた布施行の毎日となりますよう心よりご祈念申し上げます。

 本日はご参拝誠に有難う御座いました。

20193月 薬王山竹韻精舎蔵王寺


 







   2019年2月    随喜の功徳 今月の法話を音声で聞く
   

随喜の功徳

 本日は雪の中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。早いもので今年もひと月が過ぎ、2月に入りました。2月3日は節分です。古来、私達の先祖は立春の前日に豆をまいて邪気を払い、歳神様をお迎えして新しい年の平穏と幸多い事を祈って来ました。「福は内、鬼は外」と唱えながら豆まきをするのが一般的ですが、私達の金峯山修験本宗では「福は内、鬼も内」と唱えます。「鬼も内」と唱えて豆まきをするのは、全国でも私達のお寺だけではないでしょうか。

 この世に生を授かった者と致しましては、平穏で幸せな生活は今年一年にとどまらず、生涯続いて欲しいと願うものです。そして、出来る事なら、あの世でも極楽に往生して、永遠に幸せな毎日を過ごしたいと願わずにはいられません。極楽浄土に往生する近道は、何と言いましてもこの世での生活を感謝と奉仕の日々で満たす事ではないでしょうか。支えられ生かされている自分を自覚し、支えてくれている人々に感謝の気持ちを抱くと同時に、その気持ちを具体的な行動に移し、世の為、人の為に働かせて頂く事ではないでしょうか。そうする事で「有難う」の言葉で満たされた日々を送る事が出来、幸せな毎日を過ごす事が出来るのではないでしょうか。

 高齢化社会が進み、街のいたる所にケアハウスが立ち並ぶようになりました。ケアの本来の意味は「悲しみを共にする」事だそうです。ですから喜びや苦しみ、悲しみをお互いに共有し合い、分かち合う所がケアハウスなのです。

 私達仏教徒は七仏通戒偈の教えに従い、善行の実践を目指し、陰徳を積む日々を送りたいと願うものですが、「大智度論」では「善を行ずる者より、それを随喜する者の功徳の方が勝る」と教えています。戦後のベビーブーム世代が70代となり、高齢化社会の課題が叫ばれていますが、与えられた日々をいかに心身ともに健やかに生きるかを私達は問われているように感じます。

 イギリスの科学者ニュートンにちなんだ天体の運行から割り出した「ニュートン時間」が有りますが、これに対しフランスの哲学者ベルクソンの名を取った「ベルクソン時間」が有ります。この時間は同じ時間でもその人の感覚や意識によって短く感じたり、長く感じたりする時間の事です。

 これから始まります皆様方の新しいひと月がケア精神に基づく随喜の日々で満たされ、生きがいに支えられ短く感じられる毎日となりますよう心からご祈念申し上げます。

 本日はご参拝誠に有難う御座いました。

2019年2月 薬王山竹韻精舎蔵王寺


 







   2019年1月    遺教経を拠り所として 札幌市/法話/音声
 

遺教経を拠り所として

 

 本日は雪の中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。

 皆様におかれましてはご家族お揃いで新年をお迎えになられた事とお慶び申し上げます。今年は年号が変わるとの事ですので、まさしく新しい門出の年になりますが、この一年が皆様方に取りまして実り多い豊かな年となりますよう、心よりご祈念申し上げ初護摩を焚かせて頂きました。

 1月の事を正月と申しますが、正しくは「修正の月」と申します。新年を迎え一年の目標を心に誓って日々精進を重ねますが時間の経過に伴い、いつしか初心を忘れ目指した目標とは違った道を歩んでしまう事が御座います。そうした自分を見つめ直し、正しい道に導き直すのが1月で「正しく修正する月」と言う事から正月と呼ばれて来ました。

 「一年の計は元旦にあり」と申しますが、年頭に当たり今年一年の計画を立てられた方も多いのではないでしょうか。私は昭和58年にご縁を頂き得度受戒を授けて頂きましたが、この36年間、不思議に思い、納得いかない現実に直面して来ました。仏教と言いますとイコール葬儀と言える位、亡き人の供養こそが仏教の本義のようになっていますが、お釈迦様の教えを勉強すればする程、そうではない事に気付かされます。

 お釈迦様は「生老病死」と言う苦しみ多きこの世の人生をいかに正しく生きるかを説かれました。今年こそ仏教の原点とも言うべきお釈迦様の教えに少しでも近づく事が出来るよう、努力して日々を過ごして参りたいと願っています。

 具体的にはお釈迦様の命日であります毎月15日に最後の教えを纏めた経典と言われています「遺教経」をお唱えして、お釈迦様の教えを肝に銘じ、忘れる事のないよう精進を重ねて参りたいと思っています。特に出家僧侶が守るべき戒めとしてお示しになられた、悟りに至るために守るべき少欲・知足・遠離・精進・不忘念・正定・修智慧・不戯論という8つの徳目をかみしめ、「少欲・知足」を守り、「勤め励む」事を忘れず、日々努力して参りたいと思っています。

 これから始まります皆様方の新しい一年が、お釈迦様の教えに裏打ちされた仏教徒にふさわしい毎日となりますようご祈念申し上げます。

 本日はご参拝誠に有難う御座いました。 

2019年1月 薬王山竹韻精舎蔵王寺王


 
 



   2018年12月    維摩経に学ぶ





   2018年11月    身口意を整える




 
札幌のお寺行った過去の法話履歴
 
 
 


































 

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