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薬王山竹韻精舎蔵王寺は総本山金峯山寺の末寺として札幌市にある寺院です。祈祷、供養、法話を行っています。

TEL 011-764-2328

〒001-0931 札幌市北区新川西1条6丁目2-17

今月の法話RECRUIT

令和2年度 今月の法話

7月の法話 「食生活を見直す」 

食生活を見直す

本日はご参拝頂きまして、誠に有難う御座います。

新型コロナウイルスの感染拡大が一日も早く終息するよう、願いを込め護摩を焚かせて頂きました。新型コロナウイルスの感染拡大が長期化する中で、働き方や時間の過ごし方など、これまでの生活そのものを見直す動きが出て参りました。この機会に私達の命を支える食生活について見直して見るのも良い事ではないでしょうか。

お釈迦様は美食や大食が身を滅ぼすとして、コーサラ国王に少食を勧め実践させたと言われています。また、お釈迦様の最後の教えを纏めたとされます「遺教経」では「わずかに身を支える事を得て、これを以て餓渇を除け」と少食を説いています。仏教の食事観は物の命を尊重する点にあり、生きる為に毎日繰り返している殺生を可能な限り慎み控える事で、生き物に対する慈悲行の実践を目指しています。そして、犠牲になった生き物に対する報恩として、世の為人の為に役割を果たす事が大切と教えています。

江戸時代に活躍した観相家の水野南北は節食により命拾いをした経験から、生涯粗食を守り観相家として大成すると共に長寿を全うする事が出来ました。水野南北は食宗同源を説き食により心を育てる事の大切さを力説して、食は宗教そのものだと述べています。そして、私達の日常生活を支えてくれている家や土地・衣服やお金など、全てのものは借り物に過ぎず、この世で自分の物はただ一つ食べ物だけだと断言しています。昔から健康の為には腹八分と言われて来ましたが、水野南北も食は腹に満ちない事を以て最善とするとし、腹一杯食べる事を強く戒めています。

また、食べ物だけではなく水についても「水を無駄にする者は短命で、かりに長生きしても子供の縁が薄く晩年は凶となる。長生きして子宝に恵まれたいと望むなら、先ず水を大切にすれ」と教えています。

私達の修行で欠く事の出来ない節食や断食の意義は、こうした考え方に基づいています。神仏に対する本当の祈りとは自分の食事を減らしてお供えし、礼拝する事ではないでしょうか。

これから始まります皆様方の新しいひと月が少食を守り、生き物に対する慈悲行実践の日々となりますようご祈念申し上げます。

本日はご参拝、誠に有難う御座いました。

令和2年7月 薬王山竹韻精舎蔵王寺





6月の法話 「浄き心を養う」 

浄き心を養う

本日はご参拝頂きまして誠に有難う御座います。
 
4月7日に発出されました新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が、5月25日に全面的に解除されました。宣言が解除されましてもウイルスが消滅した訳ではなく、毎日のように感染者も出ていますので、手放しで喜ぶ事は出来ません。自由に外出できず、家に閉じ籠る日が長くなるにつれ気持ちも暗くなりがちですが、そんな気持ちを払拭し明るくしてくれているのが、テレビやラジオのニュースではないでしょうか。
 
コロナウイルスに関連したニュースの中には命の危険を感じながらも懸命に職務に当たって下さっている医療従事者の方々にマスクや防護服を提供したり、苦しい経営の中で児童館や子供のいる家庭に無料で弁当を提供している飲食店、更には家賃を返還した大家さんの話題など、ニュースを観ていて感動し、胸が熱くなります。一方コンビニ強盗や詐欺、置き配の荷物を盗むなどの残念なニュースも流れています。同じ苦しい環境の中にありながら、具体的な行動にこうも大きな違いが出て来てしまう事をどう受け止めれば良いのでしょうか。
 
仏教には数多くの経典が有りますが、お釈迦様がお説きになられていた当時の教えを最も色濃く残していると言われる「法句経」では「ありとあらゆる悪をなさず、ありとあらゆる善を行い。己の心を浄めんこそ、諸仏の教えなり」と教えています。この教えは七仏通戒偈として漢訳され有名に成りましたが、悪い事を止め、善い事をするのは社会生活を営む私達に取りまして、倫理道徳の範疇とも言えます。宗教としての仏教が問題にしていますのは、こうした行為によって自分の心を浄める事にあるのではないでしょうか。同じ体験をしても体験から何を習得するかは人に依って違って来ます。形から入って心を整える方法も有りますが、真っ先に想いや願いが生じ、その想いや願いを実現する為に具体的な行動を取って欲しいものです。
 
仏教では身・口・意と言いまして行動・言動・想念の三つをいかに浄く保つかを修行の重要テーマにしています。お釈迦様は言動や行動の元になる想念を最も大切とされました。私達は今回の新型コロナウイルスの感染拡大により、今まで見えなかったものや感じられなかった事を観たり感じたりする事が出来ました。この体験を活かして新しい生活様式を創造し、温かく豊かな人間関係を構築する事が出来るかどうかを、私達は問われているように感じます。
 
これから始まります皆様方の新しいひと月が、浄き心から生まれた行動で満たされますようにご祈念申し上げます。
 
本日はご参拝、誠に有難う御座いました。

令和2年6月 薬王山竹韻精舎蔵王寺





5月の法話 「母の恩に報いる」 

母の恩に報いる

本日はご参拝頂きまして、誠に有難う御座います。
 
新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず、先月ひと月で感染者の数は四倍以上に増え、死者も20万人を超えてしまいました。一日も早く感染拡大が終息するよう願って護摩を焚かせて頂きました。
 
5月の第二日曜日は「母の日」です。日頃の感謝の気持ちを込め、お母さんにカーネーションのプレゼントを予定している方も多いのではないでしょうか。こうした習慣は100年程昔にアメリカのウエストヴァージニア州に住んでいたアンナ・ジャービスと言う女性が亡き母を偲び、お母さんが好きだった白いカーネーションを教会に集まった有縁の方々に贈った事が始まりとされています。
 
お釈迦様は親から受けた恩の大きさを説き「母と父は子供達を育て、養って、この世で生活して行く事を教えてくれた。されば子供達は恩を感じ母と父を扶養し、教えを守り家系を絶やさず、信仰を保ち戒めを守って生活しなければならない」と教えています。当時のインド社会は家父長制度が根強く、父親の権限が絶大だった中で、お釈迦様は両親を表現する際に「母と父」と言って父親より母親を先に挙げています。
 
「父母恩重経」というお経は中国で成立したとも言われていますが、その内容は身ごもって10月10日の間、自分の血や肉を分けて命を育んでくれた恩や痛みや苦しみに耐え生んでくれた出産の恩、そして、母乳を与え育ててくれた恩、更には汚れたオムツもいとわず手で洗い常に清潔に保ってくれた恩など具体的な例を挙げて親に対する恩を教えていますが、その殆どは母親から受けた恩なのです。お釈迦様は「自ら豊かで楽に暮らしていながら、年老いた母や父を養わない子供がいる。これは破滅へ続く門をくぐるようなものだ」と厳しく戒めています。そして、「子供は年老いた両親の足を洗い、沐浴させ、粥を食べさせ大切にお世話しなければならない」と日常的に行うべき具体的な内容までお示しになられています。2500年前にお釈迦様がお説きになられた教えは現代でも通じる事であり、人の道ではないでしょうか。

今年は花の配送を分散させ新型コロナウイルスの感染拡大防止を図るため、5月ひと月を「母の月」とするようになったようです。これから始まります皆様方の新しいひと月が母に対する感謝と報恩の日々で満たされますようご祈念申し上げます。

本日はご参拝、誠に有難う御座いました。

令和2年5月 薬王山竹韻精舎蔵王寺





4月の法話 「新型コロナウイルスに学ぶ」 

新型コロナウイルスに学ぶ

本日はご参拝頂きまして誠に有難う御座います。

中国で発生しました新型コロナウイルスの感染が世界中に広がり、感染者は70万人を超え、更に拡大する状況に有ります。死者の数も増え続け、世界は第二次世界大戦に匹敵する事態として、国を挙げて対応に当たっています。
 
三か月前、私達は令和になって初めての正月を迎え、新たな時代の幕開けに大きな夢と希望を抱き、輝く未来を期待しました。誰一人として、このような事態を想像する事は出来なかったと思います。
 
仏教には「諸行無常 諸法無我 涅槃寂静」と言う、皆さん良くご存じの三法印の教えが御座います。「諸行無常」とは私達を取り巻く様々な出来事や物、感情に至るまで、この世に存在するありとあらゆるものは常に変化し、生滅を繰り返しているとの教えです。また、「諸法無我」とはこの世に存在するもの全ては互いに関連し合って繋がり、そして調和する事によって始めて存在が成り立っているとの教えです。こうした二つの教えを悟る事によって心身の安らぎを得る事が出来、「涅槃寂静」の境地に辿り着く事が出来ると教えています。
 
今回の新型コロナウイルスの発生は正に私達に「諸行無常 諸法無我」を教えてくれているように感じます。今まで当たり前、当然と思っていた暮らしが一変してしまいました。学校に通う事や自由に外出したり、仲の良い友達と飲食を共にする。欲しいものが有ればスーパーに行っていつでも買える。野球や相撲など好きなスポーツを会場で観戦でき、計画したイベントを予定通りに実施できる。これまでのこうした暮らしが、平和な今日にありながら根底から覆されました。しかも突然にです。
 
お金が有るのにマスクが買えず外にも出られない。保育園や学校が休みになってしまい母親が働きに行けず、店は客の減少により経営がなりたたなくなっています。この様な現状を目の当たりにし、私達の生活がいかに多くの繋がりを基に、互いに支え合い成り立っていたかを痛感させられます。今回の経験を活かして、今まで当たり前と思っていた事を一つ一つ有難いと実感できれば、感謝感謝の日々を過ごす事が出来るのではないでしょうか。これこそ三法印の最後の教えであり目標でもあります「涅槃寂静」を体得した事になるのではないでしょうか。新型コロナウイルスの感染が一日も早く収束する事を願って止みません。
 
本日はご参拝誠に有難う御座いました。

令和2年4月 薬王山竹韻精舎蔵王寺





3月の法話 「善き師、善き縁求めて」 

善き師、善き縁求めて

本日は雪の中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。
 
中国で発生した新型コロナウイルスの感染があっという間に世界中に広がり、大きなニュースになっています。ニュースを見て国境を越えた人の往来がいかに多く、しかも日常的に行われているかを痛感させられました。
 
華厳宗の根本経典とされます「華厳経」では、この世の全てのものは互いに関連し合い、支え合って存在していると教えていますが、まさにその通りで世界中の国々や人々の支え、協力なしには、私達の生活が成り立たない事を実感致します。

「華厳経」は悟りを開くために如何なる道を歩むべきかを教えている経典ですが、そのポイントとも言うべきところは文殊菩薩に促されて、善財童子が悟りを求めて南インドを旅し、53人の善知識と言われる、いわば人生の模範とも言うべき善き師を訪ね、様々な教えを受け最後に普賢菩薩のもとで悟りを開くと言う「入法界品」です。訪ねた善き師は宗教界の偉人や悟りを開いた聖人だけではなく、国王や商人・少年少女や農民・船頭なども含まれ、先入観念を持たずに素直な気持ちで接すると、どんな人からも道を学ぶ事が出来ると教えているのです。
 
江戸時代に整備された東海道の宿場は「東海道五十三次」として有名に成りましたが、華厳経にある善財童子が53人を訪ねた求道の旅にヒントを得て創られたものなのです。
 
お釈迦様の最後の教えを纏めたとされる「遺教経」では不忘年として、常に正念を忘れず守る事の大切さを教えています。正念を忘れず堅持していれば善き師や善き友、善き縁に出会う事が出来、煩悩に左右され悩み苦しむ事もないと教えています。ただ、どんなに善き師や善き友、善き縁に恵まれたと致しましても、自分に気付く資質や学ぶ謙虚な気持ちが無ければ、魂向上のチャンスを活かす事は出来ません。
 
私達の人生も同様で主人公である自分自身の判断や選択により、全てが決まっているのです。これから始まります皆様方の新しいひと月が人生ドラマに登場してくれた共演者達との貴重な出会いやご縁を十分に活かす事が出来、悟りに向かって進むことの出来る日々となりますようご祈念申し上げます。
 
本日はご参拝誠に有難う御座いました。

令和2年3月 薬王山竹韻精舎蔵王寺





2月の法話 「あるべきようわ」  

あるべきようわ

本日は厳しい寒なさの中、ご参拝頂きまして誠に有難う御座います。今年は異常とも言える程、雪が少なく寒さだけが厳しいため、庭の草花や秋蒔き野菜が凍ってしまい、春になっても芽を出せないのではないかと心配になります。このように身近な植物も私達と同じように取り巻く様々な要因に支えられ、生かされていると感じます。私達はややもすると自分の努力や力で生き抜いていると思いがちですが、生きているのではなく生かされている自分に気付く事が出来ますと、自ずと有難いと言う感謝の気持ちが湧いて参ります。そして、受けた恩のいくばくかでもお返し出来るよう、具体的な報恩の行動を取りたいとの誓願に辿り着く事が出来ます。

こうした誓願を実現する為の一つが金峯山修験本宗の五條管長猊下が発願されました「とも祈り」の行ではないでしょうか。この「とも祈り」の行は日本を「日の本」と読んだり致しますが、仏教ですと大日如来、神道ですと天照大御神と言う太陽神の教えに立ち返り、あまねく一切に光を当てようとする実践実修でも有ります。

日々私達を守り導いて下さっている守護神や守護霊に対する感謝に始まり、身に降り掛かる困難や悩み苦しみを、過去のカルマ解消の機会と捉え感謝して受け止めると共に、全ての人々が幸せになるよう願う「とも祈り」の実践へと発展させて行けるよう、日々精進を重ねて参りたいと願っています。私達は神仏と違い、どんなに優れた人でも弱点や欠点を持っているものです。お互いに足りない所を補い合い、支え合って生きる事が出来れば、日々の生活は一層豊かで幸せに満ちたものになるのではないでしょうか。そして、一日が終わり就寝する際には無事暮らせた事や自分の生活を支えてくれた多くの人々に感謝の祈りを捧げる事が出来ましたら魂の輝きが一段と強くなるのではないでしょうか。

鎌倉時代に活躍した明恵上人は「あるべきようわ」の大切さを強調されました。「僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり」と言われ、人それぞれに与えられた立場に従い、自ら守るべき規律や果たすべき責任を自覚して実践する事の大切さを説かれました。

これから始まります新しい一年が僧籍を持つ者のあるべき日々となりますよう、未熟ながら精進を重ねて参りたいと願っています。

本日はご参拝、誠に有難う御座いました。

令和2年2月 薬王山竹韻精舎蔵王寺





1月の法話 「人となる道」  

人となる道

新年明けましておめでとう御座います。教信徒の皆様方におかれましては令和になって初めての新年をご家族お揃いでお迎えになられました事、心よりお慶び申し上げます。

江戸時代に活躍した真言宗の僧侶・慈雲飲光は「人となる道」を著し、仏教徒たるものの有るべき姿を具体的にお示しになられました。その教えは「十善戒」とも呼ばれ、仏教徒が守るべき一般的な戒律とされています五戒より、はるかに厳しし戒律となっています。

我が宗派でも教師・教徒の守るべき戒律として十善戒を掲げています。具体的には不殺生(生きものを殺すなかれ)、不偸盗(盗むなかれ)、不邪淫(男女の道を乱すなかれ)、不妄語(偽りを言うなかれ)、不綺語(ふざけた言葉を言うなかれ)、不悪口(人をののしったり、悪口を言うなかれ)、不両舌(仲たがいをさせるような事を言うなかれ)、不貪欲(貪るなかれ)、不瞋恚(怒るなかれ)、不邪見(よこしまな見解を抱くなかれ)です。不殺生とは人間や動物を殺さないだけではなく、虫や草木に至るまで命あるものを大切にする事ですし、不偸盗も単に物を盗まない事だけではなく時間を無駄にせず、給料に見合う働きをする事や布施に対応した法施の実践等も含まれます。不妄語は他者にウソや偽りを言わない事は勿論ですが、自分の心をあざむかない事も含まれますし、不綺語では軽薄な言葉を発したり、時と場所にふさわしくない発言も含まれるのです。不両舌は簡単に言いますと二枚舌を使わない事です。

これら十善戒の内、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語に不飲酒を加えたものが五戒です。在家の身では不飲酒を守る事は難しいと思いますが、不飲酒戒の目指すところは執着心に負け溺れてはいけないと教えているのであり、酒だけではなく、異性やお金・権力に執着して溺れる事なども含め戒めているのです。ですから酒を飲む事自体を禁止し戒めているのではなく、酒を飲む事によって自制心を失い他の戒めを破る事につながる心配が有るので問題にしているのです。このような十善戒を守って始めて人となる事が出来ると慈雲飲光は教えています。

これから始まります新しい一年が十善戒を守る事が出来、胸を張って「私は人です」と言える日々となりますよう互いに精進を重ねて参りましょう。

本日はご参拝、誠に有難う御座いました。

令和2年1月 薬王山竹韻精舎蔵王寺





バナースペース

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